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飽食の時代に生きる

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ちょっと前までは、如何にして食いつなぐか・飢えをしのぐかというのが人類全体に課せられた大きな課題だった。ところが、現代社会は全く逆で、如何に食べ過ぎないかに腐心しなければ生きていけない時代なのだ。


人類ってのは長らく自分達に必要な日々の食料を確保するのに追われてきて、今や食べることや飲むことに不自由する事の無い理想の社会を築いてきた訳だ。

ところが、皮肉なことにその現代社会においては、逆に栄養過多に伴う各種の障害が頻発するようになった。太りすぎやそれに伴う各種疾病の発生は最も恐るべき事だ。
人類は飢餓に対する耐性は長い長い年月によって培ってきたのだが、逆に食べすぎには全く無力だ。というか、一時的な過食に対しては体に脂肪を蓄積して、その後の飢餓に備えるという体のメカニズムが自動的に働く訳だが、現代社会はその過食が一時的でなく連続した挙げ句、体がおかしくなってしまうという状況で、まるでダメダメなのだ。

社会全体でも、飢餓に対する対策は著しく進んで、政府だって食料備蓄だの何だのといざという時の食料確保はしているものの、飽食から国民を守るなどという事はみじんも考えていない。
つまり、過食に対しては各個人が十分に注意して防がなければならないものの、ああ、世の中には何と食欲をそそる食べ物の多い事か。もともと、食べ物がたくさん売れれば売れるほど潤うというビジネスモデルがベースになっている以上、どんどん社会全体に食わせまくるという結果になる。より美味しく、より安定的に、より大量に!という訳である。

ここでもやっぱり、食の供給過剰に対するストッパー的なものは何一つ無い。まぁ、唯一食べ物が有料で、お金が有限であるため無限に食べ続ける事は出来ないという制限程度だが、それでも現代社会で可処分所得いっぱい食べ物を食べたら確実に死ぬ。よって、余り有効なストッパーにはなっていない。

特に一番問題だと思われるのは、自分たちの世代がまさにそうなのだが、「ごはんはもったいないから、残さず全部食べること!」という教育を受けて育ってきた点だ。未だ飢餓の危機があり、一人当たり十分な食料が無かった時代には確かに正しい事なのだが、この飽食の現代社会では実に命取りになりかねない。
特に外食などで食べる「一人前」ってのが人によるけど、特に自分の場合なんて多すぎる。で、ずーっと「全部食べなきゃいけないんだ!」という価値観で食べ続けたものだから、結果太ってしまい大きな生命維持上のリスクを背負う事になってしまった。

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という事で、自分の子孫を確実に繁栄させるためには、「食べ物を食べるときは腹八分。満腹するまで食べてはいけません。食べられなかったら遠慮なく残しなさい。」と教育しなくてはなりません。いいですか、「食べ物が自分にとって多すぎた場合、絶対に無理して食べてはいけません。残しなさい」という事ですよ!今までの価値観と180度逆なのだけれど慣れなくてはいけません。
しかし、中華料理の世界はそういう点では先進的で「お店で出された料理は、必ず残すこと」が美徳とされているようです。つまりは、「美味しくて満腹になりました」という事をシェフに対して表すのだそうです。全部食べてしまうという事は「未だ食い足りないぞ!」との不満を表明する事になり、シェフに喧嘩を売ってしまいかねないのです。

という訳で、これからは食べ物を残すことを恥と思わず、飽食と戦う現代人にならなければならないのです。

やれやれ、頭の固い年寄りにこれをどう理解させたものか、それが最も厄介な問題かもね。ほら、そこのあなた!「もったいないから、全部食べちゃいなさい」って言ってるでしょ!
2004年08月05日 01時01分50秒 by miraclecat - カテゴリ:自然科学探求



コメント

ばぐさんのコメント:

現在でも飽食で死にそうになっている人(国)は一部の例外で大部分の人にとっては飢えが重要問題なのだと思います。だから人の体の構造が飢えに耐えるようになっているのは現代でも依然として有効に働いていると言えるのでしょうが…
だからと言って、世界のどこかに飢えている人がいるからという理由で「食べ物を残してはいけない」というのは良く考えると論理が変だし、作りすぎの責任を食べる人に転化してるだけですね。でも、作りすぎを棚に上げて「残せばいいのだ」という論理は、頭の固い老人である私には納得いかないのです。
まったく話は変わりますが、沖縄では残飯として捨てられる食料が日本の中では非常に少ないのだそうです。それは外食で出る残飯の量が少ない事によるのだが、別に沖縄だけ外食が普及していないからではない、沖縄では外食産業が非常にフレンドリーで、人によって(または食べる人の体調によって)出す食事の量を細かく調整する事によって残飯が減っているということでした(また聞きなので事実かどうかは判りません)。
外食でも家庭でも作る量を何らかの方法で調整することによって残す量を減らす事は可能ではないかと思います。
#だからと言って、その分が食料の不足している国に流れていったりはしませんが…
2004年08月05日 12時55分57秒

白ワニさんのコメント:

うちは、残飯を処分するのが苦痛なので、ガッツで食べる。インスタント麺のネギの破片も極力流さない。

でも、食品の賞味期限をよくオーバーする。
2004年08月05日 18時25分11秒

miraclecatさんのコメント:

そう、問題の本質はそれ(出す量を減らしてくれ!)って事!
アメリカで出される量は言語道断で多すぎてお話にもならないにしても、日本で一般的に出されている「一人前」の量も自分にとっては多すぎるのだ。選択可能な場合は極力少量になるようにしているけれど、それが困難な場合が殆どだ。
残さず食べても残しても、食料不足の所に食料が行くわけではない・・・と思ったけれど、でも待てよ。
残さず食べて体調が悪くなって寿命が短くなれば、生涯で消費する食料は少なくなるわけだから、食料不足の所に少しは回るかも知れないなぁ。残さず食べるって、自分の命を犠牲にしてまでも、世界を救おうとする姿勢だったのかぁ!なんて凄いんだぁ!

そう、残さずに食べる量が減らせればどんなにみんな幸せになれる事か!そんな世界にするにはどうすりゃいいんでしょうか?
2004年08月06日 02時13分21秒

キライルミさんのコメント:

日が経ってのレスですみません。
わたしも子どもの頃から「残すな」といわれました。でも残すことが悪いと思っていて、食べ過ぎやカロリーの取りすぎが悪いという常識は知りませんでした。

ところが国民の3人に1人が糖尿病と痛風だといわれる、かの地米国では。。。

みんな気にしているのです。残すのです。でも出てくる量ははっきりいって多すぎなんてもんじゃありません。そこで食事終了後「Bag」に入れる、つまり残したものを持ち帰る、ことが普通です。

日本では保健所のご指導!による禁止事項なので実行できませんが、これが許されればずいぶんと事態は変わると思います。

食べ過ぎは気付かないうちに命を短くします。でもどこからが食べすぎなのか普通のひとはなかなかわからない。

わたしはあるときから残すことに罪悪を感じなくなりました。しつけてくれた両親には悪いけど長生きするほうがよっぽど親孝行だもの。
2004年09月12日 10時26分44秒

miraclecatさんのコメント:

貴重なコメントありがとうございます。
なるほど、確かに残した物を持ち帰れば翌日の朝食にしたり、それこそわんちゃんのお食事になったりと、有効利用できますね。残した物を持ち帰った場合、そこから先は持ち帰った人の責任という事にして、OKにすればいいのにと思います。

日本の場合、長らくこういう護送船団方式で安全・安心なんだけど選択の余地が無くて効率が悪い方式が続いてきてましたが、いろんな分野で少しずつ、自己責任という声が聞こえてきていますね。

残った物を持ち帰った際の危険性について理解した上で、利用者の責任で持ち帰る事を認めてくれるようになる日も、いずれは来て欲しい気がします。
それまでは、罪悪感を感じながらも多すぎる食事は残さざるを得ません。(でも、やっぱり多少は無理して食べちゃってますが…)
2004年09月27日 01時32分45秒

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